大平興産50年の歩み
まだ事業モデルのない時代から、
適正な技術と施設を一から開発。
ルール遵守と社会貢献を貫いてきた半世紀
大平興産株式会社 創業者 山上 毅
水俣病に心を痛め起業を決意
私が大平興産を創業したのは、昭和46年(1971年)のことです。きっかけは当時、社会問題となっていた熊本県の「水俣病」でした。小さな漁村に暮らす方々が発病し、日常生活を送れなくなっていく姿を見て、本当にお気の毒でならなかったのです。
同時に、病気の原因となる有機水銀を垂れ流して海を汚染させた工場側が、責任を認めようとしない態度に疑問を感じました。
工場が排出するものはきちんと管理しなければならない。生来、正義感が強い私は、自分に何かできないかと考えた末に、産業廃棄物処理の事業をしようと決意しました。
産業廃棄物に関してまったく知識はありませんでしたが、間借りした事務所に机ひとつと電話一本でスタートしました。
最初に手がけたのはある食品加工会社の廃棄物の処理でした。その会社の工場からは石灰を含んだ廃棄物が大量に出るため、何とかしてほしいとの依頼が舞い込んできたのです。適切な処理方法はないものかと知恵を絞った末、千葉県市原市の農地に活用することを思い立ちました。廃棄物の再利用です。
その農地は起伏の激しい不整地で、農家の人たちは農業機械が使えず困っていました。そこで、その廃棄物を窪地部分に敷き詰めて、全体を平らな土地にしてはどうかと考えたのです。
農地は肥料の使用によって土壌が酸性になるため、作物が育ちにくくなります。一方、その工場の廃棄物に含まれる石灰成分はアルカリ性。それならその廃棄物を土地のくぼんだところに埋めれば土壌が中和されて作物が育ちやすくなると同時に、土地全体を平らにできるので農業がしやすくなると考えました。
その狙いがみごと的中。農家の方々からたいへん喜ばれました。数十年たった今も、その土地では農業が営まれています。このときの成功経験から廃棄物の処理専門でやっていこうと決めました。
日本を汚染土にしないために独自に技術開発
創業当時、家庭から出る一般ごみに関しては法律や制度も整備されていました。しかし産業廃棄物に関しては、創業した前年の昭和45年にはじめて関連の法律が施行されたばかり。当然、処理業者に法令遵守の意識は希薄です。工場から出た廃棄物を受け取ったあと、その中身を把握することなく、何もかも一緒にまとめてダンプカーで山に運び、火をつけて燃やしたり、穴を掘って埋めているような状況でした。
「この状況を放っておくと、日本全土が汚染土になってしまう」――そんな危機感を持っていた私は、法令遵守を旨としました。さらに適正に廃棄物を処理した後も、周囲の環境に害をもたらさない処分の仕方を模索しながら事業を進めていきました。
産業廃棄物の処分が社会問題になった背景には、産業界における石油化学技術の発達があります。昔ながらの木材や植物の繊維など天然素材だけを使用したものなら、燃やしたり土に埋めたりするだけでよいのですが、石油化学技術によって自然界にはない加工物が製品に使われるようになったことで、そうはいかなくなったのです。
製造過程で出てくる排出物は土に埋めても分解せず、そのまま残ります。それだけでなく環境を汚染する危険のある物質が流れ出てくるものもありますし、燃やせば有毒なガスを発生させるものもあります。そのため産業廃棄物の処分には、その性質や状態に合わせて適切な対策を講じる必要が出てきたのです。
そこで当社は石油化学の専門スタッフを揃え、化学物資由来の廃棄物の処理技術を含む管理のあり方の研究も開始。より適正な処分方法を独自に開発していきました。
処分場を開設し業界内で最速のISO14001取得へ
昭和50年代に入って、弊社では千葉県内に安定型の処分場を開設。研究の成果を次々に投入し、独自の処理技術を蓄積してまいりました。昭和60年に開設した大塚山処分場は、それまでの研究と技術を結集した施設です。幾重にもわたる汚染回避の構造を施し、汚水を人が飲めるほどのレベルにまで浄化する施設も併設しています。
このようにして私たちは独自に廃棄物の内容や成分の基準を明確に定め、その基準の遵守に努めてまいりました。さらに業界ではもっとも早く平成9年(1997年)にISO14001を取得し、国際基準に則った管理を徹底してきました。
ルール遵守と適正な処理の徹底
私は学生時代に野球に打ち込んでいました。スポーツというのはルールに則って試合をするのは当たり前のことです。これは仕事においても同じだと私は考えます。ルールに則ったうえで、適正にやっていくべきだということを、自分なりの哲学として事業を行ってきました。
企業は自社製品の製造責任に関しては入念に検討されていますが、それと同じように廃棄物にも責任を持たなければなりません。どんなに画期的な製品を開発しても、人々が喜ぶ製品を製造しても、ごみで社会や人に迷惑をかけてはいけないし、環境を破壊してはいけないのです。
全世界で進む環境への取り組みの中で
ここまで大平興産の50年の歩みを述べさせていただきましたが、産業廃棄物をめぐる環境整備はまだまだ十分とは言えません。とりわけ埋立終了後も30年もしくは50年にわたって必要となる管理のあり方については、業界と政府、行政が一緒になって検討すべき重要課題です。
ごみに関心をはらう人はほとんどいません。目の前からどこかに運んでもらえばそれでよい、その後どう扱われているかは関心がない、という人がほとんどです。
しかしごみの問題は私たち処理業者だけではありません。すべての企業、そして一般市民のみなさまに関心を持っていただきたいと考えています。
平成27年(2015年)9月の国連サミットで採択されたSDGsは、世界の国と人々に共通の開発目標を課しています。地球環境をよりよくするための活動を通じた持続可能な社会の実現は、もはや地球に住む私たち一人ひとりの問題といっても過言ではありません。
こうした時代にあって産業廃棄物処理もまた、大きな社会課題です。生産活動が行われるところには必ず廃棄物が出ます。これからの国の発展は、廃棄物の処理とセットで考えていくことがますます重要になってまいります。
私は令和3年に役員を退任し、経営を後進に譲りました。しかし創業者としての私の思いは新しい代表および全従業員に引き継がれています。これからの日本の発展のために、よりよい環境と持続可能な経済発展を実現するべく、一層誠実に取り組んでまいります。どうかこれからも大平興産に変わらぬご協力とご支援を賜りますよう、心よりお願い申し上げます。
大平興産株式会社
創業者 山上 毅
<山上 毅 経歴>
昭和8年、東京都生まれ。昭和30年 早稲田大学第一文学部卒業
同年富国生命保険相互会社入社、以後数社を経て昭和46年7月、大平興産株式会社を設立。平成17年7月代表取締役会長に就任。令和3年8月、役員から退任。
社団法人千葉県産業廃棄物協会・副会長/千葉県産業廃棄物処理業協同組合・理事/財団法人日本産業廃棄物処理振興センター・評議員/財団法人産業廃棄物処理事業振興財団・講師などを歴任。
<表彰>
平成17年 日本国天皇 「叙勲」旭日単光章
平成14年 環境大臣 「表彰状」(生活環境の保全並びに公衆衛生の向上に協力)
平成3年 厚生省生活衛生局長 「感謝状」(業界の指導育成を通じて産業廃棄物行政への協力)
平成6年 千葉県知事 「表彰状」(多年にわたる環境保全推進の功績)
昭和63年~平成18年 富津市長 「表彰状」(学校教育の重要性を認識、教育振興に寄与)
など多数。